2020年2月28日

高野之夫×吉岡知哉 東アジア文化都市2019豊島を終えて



2019年12月31日をもって東アジア文化都市2019豊島が終了しました。東アジア文化都市2019豊島実行委員会 委員長の高野之夫豊島区長、全体統括の吉岡知哉さんに無事に閉幕した東アジア文化都市2019豊島について、そしてこれからの豊島区のアート・カルチャーについてお伺いしました。


――昨年2月1日の開幕式典から本格的にスタートし、11月24日に閉幕式典を迎えた「東アジア文化都市2019豊島」ですが、準備期間も含めると、かなりの長期間にわたるプロジェクトだったと思います。無事に閉幕した現在の心境は、どんなものでしょうか?

高野之夫(以下、高野) 本当に無謀な挑戦といいますか、身の丈を超え、だいぶ背伸びをしましたけど、国際文化都市としての豊島区の将来の姿が見えてきた気がしています。でも最初は、豊島区が日本を代表する文化都市になるなんて「えっ、大丈夫か!?」と思われて当然だったと思います。

吉岡知哉(以下、吉岡) 私も区長から東アジア文化都市2019豊島の話を伺ったときに「無謀な挑戦をするんだ」と聞いていて、どんなものになるかは、ほとんど分からなかったんですよね。あと、これまで東アジア文化都市が、どこの都市で行われてきたのかと伺ったところ、横浜市、新潟市、奈良市、京都市、金沢市と…

高野 どこも有名な都市ばかり(笑)。

吉岡 えぇ(笑)。そこで「なんで豊島区が?」と、みんな思っていたわけですよ。でも実際に始まってから、どんどん豊島区が文化都市となっていくのを感じました。それこそ岡本太郎の“芸術は爆発だ!”じゃないですけど、文化が爆発している中にいるような感覚で。

あることをすると、それにつながって色々なことが生まれてくる。そして色々な場所で、色々なことが動き始めた印象が非常に強くて。閉幕式のタイミングでHareza池袋や池袋西口公園も完成したこともあってか、閉幕したのにあまり終わったという感じがしていないんですよね。むしろこれから何かが始まる、という感覚のほうが強いです。

――私も取材で池袋を訪れるたびに街の景色が少しずつ変わっていく様子を目にして、驚きつつもワクワクするものを感じていました。

高野 変わったでしょ?でも、まだまだなんですよ。東アジア文化都市2019豊島のまちづくり記念事業として23のプロジェクトを同時に始めたのですが、まだ全部は完成していませんからね。今は防災機能を備えた公園を建設中で、その隣にはキッズパークを作ることになっています。東京オリンピックの開幕前に、全てが完成する予定です。

東アジア文化都市には、これまで日本を代表する文化都市が参加して、いわば各都市のお宝をみんなに見せるような形でしたけど、豊島区の場合は「文化都市としてのレガシーというお宝を、これから作っていく」というゼロに近いような形でのスタートで。区民を巻き込みながら一緒にゼロから色々なものを作りあげて、閉幕式にあわせて完成させるという構想を抱いていました。

それこそ人口が200万人や300万人の大きな都市であれば、その中心だけでできて、市全体が地域をあげて東アジア文化都市に取り組む必要はない。でも、たった人口29万人の豊島区としては地域全体をあげて取り組まないとできないし、豊島区の行政だけでもできない。だから“オールとしま”で、みんなで一緒に文化都市を作りあげよう、東アジア文化都市に挑戦しようという熱い想いがありました。

――区民の皆さんと一体になって盛り上がっていた印象がありますが、区民の方々を巻き込む上で特に意識されたことは何かあったのでしょうか?

吉岡 これが特にないんですよ。ただ、文化というものと区民の生活が結びついている形で実現しようというイメージはハッキリとしていて。そうしたことによって、ひとつひとつのことが浸透していったと思います。

高野 小さな自治体だからこそ、こちらの想いが区民の隅々まで浸透したんですよね。色々なイベントが行われましたが、どれにも区民がわーっと来てくれて。来場者がちょこちょこだったら僕らも空回りですけど(笑)、本当にたくさんの人が集まってくれて、「次は何をやるのだろう?」と来続けてくれました。

――あと新規事業の中に「マンガ・アニメ部門」があったのも、公の文化事業としては斬新に感じました。また11月には、『池袋アニメタウンフェスティバル』も開催されましたが、区民や中韓の方々からはどんな反応がありましたか?

高野 まず、なぜマンガ・アニメという形のテーマを全面に出したかと言いますと、2018年に中国のハルビン市で開催された日中韓文化大臣会合で2019年の開催都市として正式に選定されたのですが、豊島区のことを知っている人が誰もいなかったんですよ。もう、まったく誰一人!(笑) 「東京の中に豊島区はあるのですか?」なんてことも聞かれましたし…吉岡先生もハルビンに行かれましたよね?

吉岡 行きました。そして豊島区は本当に知られていなかったですね、池袋を知っている人が少しいるくらいで。

高野 でも「豊島区の特徴は何ですか?」と聞かれて「マンガです、アニメです」と答えたら、皆さんの目の輝きがガラッと変わって。僕らよりも日本のマンガやアニメに関する知識を皆さん持っていたんですよ。そのとき「マンガ・アニメは世界共通の文化だな…これは東アジア文化都市2019豊島の最大の目玉になるな!」とパッとひらめいたんです。マンガはアニメの原点ですし、マンガという点ではトキワ荘のある豊島区ですから。「これは豊島区にしかできないな!」ということで、マンガ・アニメを最大限に出しました。

マンガ・アニメ部門は総合ディレクターの古川タクさんを中心に、色々と企画を考えてくださって。民間の方々の力をお借りしながら最大の事業となる『池袋アニメタウンフェスティバル』をHareza池袋のオープンと同時に開催したところ、中国と韓国の方々も大興奮されていましたね。

――吉岡さんはマンガ・アニメ部門のことを初めて聞いたときは驚かれましたか?

吉岡 トキワ荘のことはもちろん知っていましたし、池袋にはアニメイトや乙女ロードなどがあって、女性のアニメファンの方々が訪れやすいと聞いて「なるほどな」と思いました。でも東アジア文化都市2019豊島が、全体として成功したのは、もともと文化の種が豊島区にあったからだと思うんです。

トキワ荘やサンシャインもあるし、もともと映画や演劇の街であったから映画館や劇場もある。それから大塚の阿波踊りや雑司が谷をはじめとする、様々な祭事や地域のお祭り…そういったものがポツン、ポツンと区の中に存在していた。それぞれ地理的に離れているために、各ポイントごとで行われていたものが東アジア文化都市2019豊島を通して「これは全部、豊島区の文化じゃないか!」と全て一つにつながったと思います。

高野 東アジア文化都市2019豊島を一つのきっかけに、地域の文化の宝を中心にしながら街づくりをできましたよね。おかげさまで6期と長く区長をやっていますが、当初から文化政策を主体とした街づくりをしたいという想いが僕にはあって。

文化事業というものは財政が豊かなときはどこでも行われますが、財政が厳しくなると最初に切られてしまう。僕は豊島区池袋で生まれ育ったのもあり、バブル経済がはじけた途端に東武百貨店の一階という一等地にあった東武美術館が、いの一番に撤退したのを見ていて。あの美術館が存続していたら、豊島区はもっと早く文化の街に変わっていたと思いますが、「やっぱり、あれが文化の現実なのだな」とも感じていました。

でも文化というものは、将来に向けてあるものであって。人の心の豊かさに見合う場所には必ず文化があり、文化がない場所には賑わいは生まれない。また街も何かのシンボルがないと経済的に豊かにならない。その想いをずっと持っていたものですから、文化によって豊島区を変えていくというのが僕の目標だったんです。財政が厳しいときはなかなか受け入れられてもらえず「文化でメシが食えるか!」って袋叩きにされましたけどね(笑)。

――また東アジア文化都市初めての取組みとして、151名もの民間視察交流も実施されました。東アジア文化都市2019豊島の開催期間中、日中韓の関係性に緊張が走ることもありましたが、中国・西安市と韓国・仁川広域市を訪れた際、どのような雰囲気で迎えられましたか?

高野 民間視察交流団は観光協会など民間団体の主導で企画されました。渡航をやめるべきだという声もありましたが、皆さんと相談したところ「政治や経済と関係のない文化が平和を作っていくのだから、こういう時こそ行こう」と励ましの声をいただいて西安市と仁川広域市へ行きました。

吉岡 僕も同行したのですが、本当に大歓迎を受けましたよ。そもそも東アジア文化都市というのは、近藤元文化庁長官の「国との関係がどんなに悪くても、文化交流というのは平和の基礎だ」という理念のもと生まれた事業で。今回は緊張しましたが、ずっとうまく続いていた事業をここで止めてしまってはいけないと、皆さん思っていたのだと感じます。

高野 ああいった状況だったからこそ、参加した皆さんも誇りのようなものを持っていました。また政治的な事情で市長さんにはお会いできませんでしたが、僕たちを受け入れてくれた方々は素晴らしい歓迎をしてくれて。それと豊島区は韓国の東大門区と友好都市の関係にあるのですが、僕たちが仁川にいたときに東大門区の区長がわざわざ会いに来てくれたんですよ。しかも一人ではなく、何人も人を連れて。

吉岡 昼食の際にお会いしたのですが、とても良い時間を過ごせましたよね。

高野 あと西安市で行われた、日中韓唐詩書道イベントもすごかったですね。豊島区からは書道教室に通う生徒が参加したのですが、100メートルもの唐詩の長巻を日中韓の子どもたちが一緒に書いて。このときは世代を越えた色々な交流ができました。

一緒に文化を作り上げながら、お互いに交流し、さらなる文化を作り上げていく…本当に無謀な挑戦でしたし、苦労したこともありましたが、豊島区がこれから国際文化都市となる礎に東アジア文化都市2019豊島はなったのではないかと僕は感じています。


文・林みき
写真・平沼孝義