2019年6月24日

祭事・芸能部門 「第32回 としま能の会」について



7月15日(月・祝)、東京芸術劇場 プレイハウスにて祭事・芸能部門のスペシャル事業のひとつである能楽公演『としま能の会』が上演されます。祭事・芸能部門の責任者をつとめる、としま未来文化財団の東澤昭さんに『としま能の会』の成り立ちについてお話を伺いました。


——東アジア文化都市2019豊島の祭事・芸能部門の事業推進を担当されているのが、東澤さんが常務理事をつとめている公益財団法人としま未来文化財団ですが、普段はどのようなことをされている財団なのでしょう?

東澤昭(以下、東澤) もともとは1985年に「財団法人コミュニティ振興公社」という名称で、豊島公会堂、豊島区民センター、池袋駅西口にあった勤労福祉会館の3つの施設の管理運営をするための外郭団体として設立された財団です。その後、2005年に「財団法人豊島区街づくり公社」と統合して、「財団法人としま未来文化財団」が誕生しました。

今は豊島区の文化芸術事業に特化した財団になっていて、例えば東池袋の「あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)」や区内にある地域文化創造館などの管理運営と、そこで行われる文化事業の企画運営を行っています。地域に密着して区民の皆さんと一緒につくりあげていく事業から、芸術分野における先端的なものまで、様々な事業を展開しています。11月にオープンするHareza池袋の「東京建物 Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)」や「としま区民センター」も、としま未来文化財団が指定管理者として運営していきます。

——今年で第32回目を迎える『としま能の会』ですが、どのような経緯で誕生した会なのでしょうか?

東澤 1988年に、現在の『東京芸術祭』の前身である『東京国際演劇祭』が始まったのですが、その主要演目の一つとしてサンシャインシティに隣接する東池袋中央公園に舞台を設えて「としま薪能」が上演されました。「としま薪能」は10年間にわたって継続され、それが今日の『としま能の会』に引き継がれています。位置づけとしては無形文化遺産である能楽を区民の方々に親しんでいただくというものですが、なぜ『としま能の会』が誕生したのかというと、実は豊島区と能楽には様々な縁があったからなんですね。

今からちょうど100年前、台東区根岸の旧加賀藩主、前田斉泰邸にあった能舞台が、駒込にある本郷学園(本郷中学校・高等学校)の創設者である松平賴壽伯爵邸に移築されて「染井能舞台」と呼ばれるようになりました。第二次世界大戦中、東京の能舞台の多くが空襲により焼けてしまったのですが、この染井能舞台は焼け残り、戦後の能再興の本拠地として全盛を極めました。こうした能楽と豊島区の深い縁が『としま能の会』が生まれた背景にあります。

現在、染井能舞台は横浜能楽堂に移築されていますが、豊島区にあった頃はたくさんの能楽師の方々が豊島区に住まわれていました。『としま薪能』もスタート当初は、地謡、囃子方を含め、出演者はすべて区内に住まれている能楽師だけで上演されたそうです。

——演劇と豊島区のつながりはよく知られていますが、能楽とも100年近い縁があったとは知りませんでした。今年の『としま能の会』では「楊貴妃」が上演されるそうですね。

東澤 唐の玄宗皇帝の妃である楊貴妃は、東アジア文化都市2019豊島の交流都市である中国の西安市とも深い縁のある人物なので、『としま能の会』を監修されている観世喜正さんには今年にふさわしい演目を選んでいただいたと感じています。同じく上演される狂言「二人袴」は、今年の2月にフランスで開催された「ジャポニスム2018」でも上演された作品で、人間国宝で豊島区名誉区民である野村萬さんと、御子息の野村万蔵さん、お孫さん2人の親子三代が共演するという注目の演目になっています。

また、9月21日(土)から東池袋中央公園で行われる『伝統芸能@野外公園』では、『としま能の会』の原点に戻り、1988年の初演時と同じ場所で薪能も上演することになっています。実は当時、東池袋中央公園で色々な演目が上演されていたんですよ、それこそ勅使河原三郎さんと山口小夜子さんによるコンテンポラリーダンスであったり、インドの劇団による伝統芸能をモチーフにした現代劇であったり。古典的なものと現代的なものが融合した世界観を、池袋という場は平気でつくりあげてしまうのが面白いですよね。

——祭事・芸能部門を担うとしま未来文化財団としては、東アジア文化都市2019豊島を通して、どのような変化が生まれたら良いと考えていますか?

東澤 豊島区の指定無形民俗文化財としては「冨士元囃子」、「長崎獅子舞」、「雑司ヶ谷鬼子母神御会式万灯練供養」の3つがありますが、こういった300年近い歴史がある郷土芸能を守り伝えるために必死で活動してきた人たちの意志というのが、実は豊島区の土壌をつくっている大きな要素だと感じていまして、地域が育んできた郷土芸能や民俗芸能を抜きに、豊島区という土壌に華やかに花開いている現代の文化を語ることはできないのではないかと考えています。

終戦直後、豊島区は7割が焼失して人口も激減し、その後の急激な人口流入と都市化の波の中で地域コミュニティも衰退が懸念されるようになっていったんですね。御会式も昭和40年代に入った頃は危機的状況だったと聞いていますが、地元の青年を中心になんとか守り育てようと呼びかけが行われて「御会式連合会」が組織され、活性化の取り組みによって今のような姿になりました。そこには地域コミュニティの変遷にともなって形を変えながらも、大元の精神を守りつづけようという地域の人たちの「意志」があったと思います。

日本の芸能を見ると、「座」や「連」「講」「社」といった小さな寄り合いが母体となって祭りを盛り上げ、存続していった歴史があるのですが、それはある意味、地域コミュニティの核になっていると感じます。ひとつのお祭りを維持するためのものであったり、地域の問題を解決するものであったり、いわゆる今の地方自治の原型になっているようなものであると。

さらに言うと「東アジア文化都市2019豊島」も「東京芸術祭」も様々な団体や人々が構成員になって実行委員会を組んでいるのですが、最近「現代型の寄り合いが実行委員会だな」と感じたりもしています。一例として、池袋駅西口を中心に地域の方々による『ふくろ祭り』や『東京よさこい』、『池袋ジャズフェスティバル』『東京フラフェスタin池袋』など様々な催しが行われていますが、実行委員会の構成メンバーを見ると同じような顔ぶれの方が役割を変えながら参加されているんですね。そういった方々はイベントを一過性のものではなく、次の年のイベントをより良いものにしようと毎年寄り合ってアイデアを積み上げていて、街のことをすごく真剣に考えていらっしゃる。「街おこしのために、どう知恵をだそう」とか「イベントだけでなく街を良くするためにこんなことを行政に要望しよう」といったことの中心になっているのが、そういった方々の力であり、豊島区を彩る文化のバックボーンになっているのだと思います。

としま未来文化財団としては、「東アジア文化都市2019豊島」での事業をきっかけに地域の皆さんともっと絆を深めて、一緒に文化を盛り上げていき、10年後、20年後に残るような種を植えこむことができればと考えています。また加えて、豊島区の伝統的なものに舞台芸術部門とマンガ・アニメ部門のディレクターの方々が目を向けてくださっていて。舞台芸術部門ですと劇作家の石神夏希さんが御会式に新しい光を当てて、違った視点からアプローチをする《Oeshiki Project》が行われています。こういった取り組みが、祭りを異なる視点で見てもらうきっかけとなり、祭りの魅力をより発信してくれればと思っています。

※雑司ヶ谷鬼子母神の「鬼」は、一画目の点のない文字が正式表記


文・林みき
写真・林亮太


東澤昭
祭事・芸能部門責任者 公益財団法人としま未来文化財団 常務理事
公益財団法人としま未来文化財団
1985年4月、豊島区における区民文化施設・スポーツ施設等の管理運営や区民文化活動の振興発展を目的として設立された。当初は「財団法人コミュニティ振興公社」という名称であったが、2005年4月、「財団法人豊島区街づくり公社」を統合し、文化と都市再生をキーワードとする「財団法人としま未来文化財団」が誕生、2011年4月に公益財団法人に移行した。その発足以来、一貫して豊島区における文化政策推進の一翼を担い、2008年度の「文化庁長官表彰(文化芸術創造都市部門)」受賞に貢献するとともに、区が標榜する「国際アート・カルチャー都市」の実現に向け、多彩な文化芸術事業等を展開している。2016年度には、運営を担う区立劇場「あうるすぽっと」が、地域における創造的で文化的な表現活動のための環境づくりへの功績により、一般財団法人地域創造の「地域創造大賞(総務大臣賞)」を受賞した。